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薬剤師の基本倫理と時事倫理をご案内します。

倫理学はヒトがいかによく生きるかを知るために必要な学問です。古代ギリシアのアリストテレスや古代中国の孔子が唱えた哲学や、徳に始まり、善、幸福、義務、愛、尊重、他者といった倫理に関する研究対象は、長い年月を掛けて多くの倫理学者に受け継 がれ、研究されて、その基礎は固められたと考えていいです。これを当サイトでは、基本倫理(Basal Ethics)と呼びます。

薬剤師の基本倫理と時事倫理「宗教上の自由と医療」

さて、後述の医療社会の倫理問題は、人間の生死を扱うために宗教の問題と大きくかかわります。医学上の人間の生あるいは死の定義は、多少のばらつきがあるとはいえ各国の法律の下、人々に一定に認識されています。

しかし、宗教上における人聞の生死の定義というのは、その宗教ごとにまったく異なります。

たとえば、死一つをとってみても「あの世」という死後の生を信じる信者に、生理学的な人間の死は単なる仮の死でしかありません。死というのは「この世」のできごとであって、次の「あの世」には新しい生活が待っている。「あの世」でも不自由のない生活を送るためには、火葬・埋葬の際にも五体満足の必要があります。

したがって、輸血や臓器移植などは死後の生を信じる人々に受け入れられるはずがありません。こうした相違は、宗教がもともと医学上の死の恐怖から逃れるための手段として発展してきたという一面をもつ以上、当然のようにも思います。

実際に、宗教上の輸血拒否、臓器移植拒否は権利として法で認められています。たとえば、輸血を拒否する場合、法的に認められている条件下で自発的に判断する場合にのみ認められます。

輸血拒否がほかの信者あるいは教祖による強制である場合、それは自由主義的な信仰の自由に含まれません。法律的に権利として許された事柄を、自己の判断に基づいた宗教上の理由で放棄するという形でのみ自由主義の原則と宗教は両立できます。

医療技術の発展に伴って次々生まれてくる新たな問題は、宗教上にも規定のないことばかりです。

法律は宗教の自由を規定するうえでも、重要な役割を担っています。宗教問題はさらなる難題を医療社会に投げかけています。

とりわけ信仰している宗教がなくとも、信仰心がまったくなくとも、死後に自分の魂がどのように家族に残るかという問題は、誰にも該当します。

自分が死んだとしても、生前の言葉や一緒に過ごした時聞が、思い出として家族や友人の中に生き続けます。なぜなら人格というのは、そのほとんどが周りの人によって形成されたものであり、周囲の人々とリンクされた人格は死後も、その存在感をしっかりと残すのです。

命というのは肉体的・生物学的存在だけではなく、精神的な部分が大きなウエイトを占めます。

つまり、死をもって自分の人生は終わりません。ここに、誰もが持つ心の宗教心が存在します。

医療従事者は信仰も含めた個人の尊厳を尊重して、その患者にとって何がもっとも「よい」ことなのかを真剣に考えることも必要です。

参考になさってください。

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