トップページ > 薬剤師の基本倫理と時事倫理「宗教と倫理」

薬剤師の基本倫理と時事倫理をご案内します。

倫理学はヒトがいかによく生きるかを知るために必要な学問です。古代ギリシアのアリストテレスや古代中国の孔子が唱えた哲学や、徳に始まり、善、幸福、義務、愛、尊重、他者といった倫理に関する研究対象は、長い年月を掛けて多くの倫理学者に受け継 がれ、研究されて、その基礎は固められたと考えていいです。これを当サイトでは、基本倫理(Basal Ethics)と呼びます。

薬剤師の基本倫理と時事倫理「宗教と倫理」

さて、倫理問題を扱うとき、宗教というまた別の大きな問題がかかわってきます。

なぜ宗教という分野が倫理問題の大きな位置を占めるのか、どのような点で問題となるのかをここで取りあげたいと思います。

原始社会の人々は生霊、死霊、自然霊などさまざまな精霊の存在を信じ、疾病、天災、禍福など、人聞社会をめぐるすべての現象は、これらによってなされると信じられていました。

そうした大きな力に対してなすべき力をもたない人聞は、それらの精霊に対しでも人間以上の力をもつものに頼ろうとし、呪術、祈祷にすがりました。こうした人間の思想と行動が、宗教と結びついていったといえます。

宗教はある一面では、自分一人の救いを求める精神的な営みであって、自分あるいは神仏等の信仰の対象以外はまったく眼中にありません。自分自身を原点とする宗教は、社会のあり方や世間の風潮がどうであろうと関係なく、「自分達だけが正しい」という強い信念の下に、実践を通じて自分の心に安心や救いや生命感情の高揚を達成します。まさに、信じるものは救われます。

反対に、倫理の原点は人と人との関係です。他者とのかかわりにおいて築きあげられた規則、すなわち守られるべき社会のルールが倫理なのです。

自己の判断にはつねに他者の判断が考慮され、共有される「よい」が社会の常識となります。

また、宗教は自分に対する神仏の裁きを自分のすべてを賭けて受けとめようとする(献身)点で、非常に高い倫理の発想と結びつきます。たとえば、キリスト教の修道女は自分達のすべてを賭けて、発展途上の国々で一心にボランティア活動を行っています。

誰にも見放された瀕死の人々に差しのべる修道女の手には、一体何が報いられるのか。死にゆく人々を握りしめるその手は、イエスの御手によってさらに強く握り返される、という発想によるようです。彼女達は死にゆく人々の中に、はかならぬ救世主イエスを見ているからこそ、死にゆく人々との交わりがただちに信仰、希望、愛の実践となり、あの浄福に満ちた表情で人々と接せられます。

このような人格的な愛が、倫理的に高い精神を形成しています。

仏教信仰では「慈悲の心」という教えがあります。その教えとは、「愛するがゆえに苦悩が生じ、この苦悩の中から「悲」が生まれてきます。自己の苦悩を知る者こそが他人の苦悩に共感できます。そこに苦しみ悩める者との間に友情が芽生えるのであり、これを「慈」といいます。「慈」とは特定の人に対してではなくすべての人に差しのべられる友情なのです。」というものです。

このような慈悲の心こそが、倫理的に高い人間関係を構築します。

このように宗教と倫理は原点とするものが異なるため、時として食い違うということが発生します。つまり、信仰を重んずるがゆえに社会の常識から外れることがあります。たとえば、数々の新興宗教の問題がそれです。

宗教を信仰する者は、自由という権利を頻繁に主張します。ところが、この宗教上の自由は、諸社会において実に厄介な代物です。「信仰の自由」の名の下に、宗教意識の違いから人々は戦争を起こし、カルト教団はサリン事件、誘拐、監禁、殺人、テロ事件や霊感商法などを考え出します。「信仰の自由」では済まされない事柄が、私達の周りに数多く存在している。

この自由主義社会の中で、他の宗教との共存の可能性を考えることや、一般の市民生活や社会規範を尊重するということは、宗教団体自身が自ら責任をもって社会に明らかにしなければならない使命です。

参考になさってください。

※薬剤師の方が転職の可能性や転職先情報を調べてみたいと思ったら、薬剤師専門の転職サイトを活用してみてください。

>>>最新の薬剤師転職比較サイトランキングはこちら

口コミを投稿する